TEAMアティック. イベントレポート

もちろんロードはレースだけがすべてではありません。TEAMアティックはどんなイベントにも果敢に チャレンジ!? イベントごとのクラブ員レポートです。

サロベツ100マイルレース
author:店長
今年のサロベツは、チームからは11名での参加で過去最高でした。参加人数が多いと盛り上がりますね。すごく楽しかったです。当日のレースを振り返りながら、店長が感じたことや、実際のレースの流れを赤裸々(?)にお伝えしていきましょう。


7月26日8時30分、エリートクラスを皮切りに5分ごとにスタートしていくシニアクラスの選手たち。奇しくもこの日はツールドフランス・パリシャンゼリゼゴールの最終日。栄えある第96回ツールの勝者が決する日だが、しかし、それを口にする者は誰もおらず、我々は我々のレースに集中している。S4クラスは4番目スタート。いよいよレースが始まった。

1周目、今年も残念ながらS4クラスは積極的な走りがあまり見られなかった。店長も2周目の勝負ポイントまでは静かに走っていようと思っていたものの、積極性のない走りとセンチュリーランのような走り方にどうにも体が我慢できずに、3ポイントの道道を左折したあたりから前方にポジションを上げて、レースをリードした。

1周目は集団を小さくするために、足に来ない程度のスピードで上りごとにペースアップした結果、2周目に入る頃にはたぶん20人くらいの集団になっていたと思う。(後ろに下がらないので正確な人数は不明)
大規模草地に入ってからも、後述する最初のポイントでアタックに近いペースアップを行う。逃げ集団ができればいいと考えつつも、集団は縦長にはなるが逃げには至らず。本腰アタックではないからやっぱりパンチが弱いようだ。縦一列状態だからそのまま引き続けたが、500mくらい過ぎたところで交代しますと別の選手が出てきた時は希望を感じた。

1周目は、前半にチームの佃さんがどんどん前にポジションアップしようとする走りが印象的だった。


2周目、依然としてローテーションは回らず。回すということを知らないのかしたくないのか、もしくは出来ないのか。先頭がスピードダウンしても2番手が前に出ないのでそのまま集団もペースが下がり、後ろは足を余したままセンチュリーライド。とてもレースとはいえない。
で、業を煮やして私が前に上がりながら走り方のアドバイス(?)をするという次第。(レース中なのに・・)
しかし、先頭引きを終えてラインを変えて左に寄っているのに後ろも一緒にライン変更に従っている。やっぱり知らないのか?

そんな中、前途に一筋の光明を見い出せたのがチーム員和泉沢さんの走り。大規模草地を過ぎて道道に出てから向かい風のなかを後方から上がってくる和泉沢さん。病み上がりなのに、と、ちょっとビックリ。さすがに過去にWウインの経験者は走りが違うなと感心する。
和泉沢さんの動きに合わせて富○君も追随して前方に上がっていく。今年からロードを始めた彼は豊富が初レース。体力的にはまだまだ未知数のところがあるので来年が楽しみだが、積極的な走りの姿勢に少しづつポディウムが近づいてくることだろう。でも、無理は禁物。レースは経験が大事なのは言うまでもない。

その後、2人の積極性に触発されてかどうか、店長も平地でペースアップ。しかし、市内の緑系ジャージの某チームが牽く(というよりただ先頭を走っている)集団はまったく付いてくる気配がない。あいかわらずのセンチュリーラン。こういう時に何人か飛び出すと集団も活性化されてレースらしくなるのにもったいないなと思いつつ、平地は付いてこないから仕方がない、ペースアップは常に上りで行う。

一番きつい700m上りの一つ手前の左カーブで上っていく上り始めで、事前に集団を少し小さくしておくために前方にポジションを上げチーム員の白石君に手でペースアップの合図を送る。ところが彼はロケットダッシュであっという間に1人で行ってしまった。「違うんだよう〜、逃げるんじゃないんだよ〜」と言っても、もちろん彼には届かなかった。

いよいよ、700mの上りに差し掛かり、4番手で上り始める。左側を10mほど先行していたガーミンジャージの中学生が後半たれてきて(この中学生が最後まで付いてきたのはビックリ、これからどんどん強くなるだろう)先頭で緩い下りに入る。心拍は169だったけど、まだ若干余裕があったので、同じような人が3人くらい居たらここで逃げが決まっただろう。

下りと向かい風が苦手な店長は下りは踏まない。後ろから3人来たあとに、数メートル離れた4人目の後ろに付く。この選手とあとからデッドヒートを繰り広げることになるとはここではまだ知る由もなかった(知っていたらもちろん別な戦法を取っている)。しばらく付かせてもらって、一気に前のほうに上がり先頭を走るも向かい風だからマリアローザに交代してもらう。集団は7人くらいか。白石君も確認。


舞台はいよいよ佳境に入った。左カーブを曲がり勝負どころの大規模草地に入る。どこで仕掛けるか慎重にタイミングを探る。右コーナーを過ぎて最初の上りが終わったあとに一気にいくか、いやいやまだ早い。その頃、白石君はかなり足に来ていたらしい。そうとは知らずに、勾配が少しきつくなった1周目と同じところで、店長、大外から渾身のアタック。今レースはじめてのアタック。スイッチが入り、ここで一気に決めようと考えるも2人付いてきた。1人はあの中学生、もう1人は黒ジャージか、けっこう重いギアを踏んでいる。パワーがありそうだ。

大きく弧を描くように左カーブしたあとのストレートの短い上りでもう一発いく。決まったか、いやまだ付いてくる。中学生も元気がよい。次の左にカーブしながらの上りで、右側風下にラインを取り、当初アタックポイントと踏んでいたここでまた行こうかとも思ったが、いや待てよ、黒ジャージの彼はかなり勝負強い。ここでは足を貯めておくことにする。

その後、いくつかのアップダウンを繰り返し、ゴールが少しづつ近づいてくる。勝負の行方は混沌としてきた。独走でゴールに飛び込む計画は脆くも水泡に帰すのか。いや、まだまだチャンスはある。攻撃は最大の防御。勝利を得るためにはただ攻撃あるのみ。

今年はまったくスプリント練習はしていない。アタックして、逃げるしか勝機はないと思っていた。ゴールまで行ったら勝てないだろうとそう考えていたから、最後、ここしかないと、瞬時に体が反応した短い上りで、地面を睨みながら、もうこれ以上踏めないという限界まで踏んで踏んで踏み倒した。しかし、振り向くと黒ジャージ。ああ、もう駄目だ。逆にペースアップした彼に2〜3mリードされる。強い。遠ざかりそうになる彼の背中を見ながら、「2位でもしょうがないか・・」、一瞬、そんな考えが頭をよぎる。ゴールも迎えずすでに敗者の発想。

しかし、直後に家族が救ってくれた。俺は1人ではない。妻と子供と、3人で走っている。負けるわけにはいかない。不思議なパワーがみなぎり彼の背中になんとか喰らいつく。マイナスの思考は一切停止。ただひたすらゴールを目指し勝つことだけを考えた。中学生には、クラスが違うからゴールには絡むな、とお願いする。

下りに入り、60キロのダウンヒル。勾配は5%くらいか。ケイデンスは120回転。トップ13Tは回し切っている。風は追い風。俺にはもうこれ以上ギアがなかったから、ここで行かれたら追えなかっただろう。
下りの最中、頭の中ではゴール前のシナリオが描かれていた。ゴールは上り。距離は300m。事前にスパートの位置も確認している。今はゴールラインしか見えていない。時は満ちた。飛び出すタイミングの200mを修正し、追い風は先行有利だからと上り口300mで一気に仕掛けた。俺にこんな力があったのか。相手というより自分との闘い。ゴールまで持つか。あと100m、50m、30m、左後方にある前輪は近づいてこない。やったあ。やったやった。ゴールラインを切ったその瞬間、やっと終えたという安心感と開放感、そして達成感がこみ上げてきた。感無量。一時あきらめ掛けた勝利がいまこの手に。

3位でゴールした白石君と、風邪の影響がありながらも10位で粘った和泉沢さんとゴール後安堵の思いに浸りながらお互いを称え合った。チームで参加している大きな喜びを感じた瞬間だった。
「お疲れさまでした〜」、戦い終えたライバル達が次々と声を掛けていく。「あ、どうもお疲れさま〜」、返す返事に、またロードレースの素晴らしさを実感する。レース中はライバルでも戦い終えたら戦友だ。彼らと交わすその時間は日常生活では味わえない至極のひととき。


我々のチーム活動は、一人の結果がみんなの結果。仲間と一緒に参加し、共有できるその環境を何より嬉しく思います。そして、レースには体力に捉われることなく全員が同じ気持ちで望んでいるものと思います。レースでは持てる力を完全投入。練習は80%、レースは120%。普段出せない力が生まれて来るのがレースという檜舞台。店長も同じです。

どのクラスでも私は過去には関係なく慢心することもなく、いつも私にできる精一杯の走りをするだけですが、クラスは違えどもレースは参加する全員が日頃の成果を発揮する真剣勝負の場。走り方を知らないならば、それを伝えてもっとレースらしく走ってもらったほうが面白いと思うし、仮にきついからゆっくりモードでのんびり集団のまま走りたいという人が居るならば、それは真剣にレースに参加している人に対して失礼だと思って走っています。レースとサイクリングイベントは違うから。

私はいつもレースは全力。いい加減に走ったことはないし、目標はあってもその時の結果は走ってみなければわかりません。ただ一つ経験から言えることは、走るからには目標があるのとないのとでは、練習よりも一層きついレースではそこで踏ん張りが利くかどうかに大きく関係してきますから、到達できそうな少しでも高い目標を掲げて走ることはよいことだと思います。

レースは諦めたら負け。弱いところを見せても負けにつながります。自分がきつい時は相手もきつい。そこで勝負できるかどうかで結果がまったく違います。自分がきついところで相手もきつそうだったらそこで攻撃に出る。結果など恐れずアタックを掛ける。慣れていないと勇気が要ることですが、実践するうちにきっとわかるはず。(もちろんトップを走っている時だけですよ)
練習の時からそういう考えが身に付いているならばその選手は必ず成長していくと、私は確信を持ってそう伝えることができます。レースの展開を読む力も身に付き、強い意志とその走り方はこれからのレース活動に必ずや活きてきます。ぜひ普段の練習会などでも実践してみてください。


レースは勝ち負けの世界。動きのある活発なレースは発展します。逆に安穏といつも大集団のまま進行する魅力の乏しいレースは衰退します。未来を担う少年達に感動を与えることのできないレースに、少年達が関心を持つでしょうか。常に前へ前へ、そういう気持ちを持つ選手が一人でも多く増えていく大会にこそ、私は明るい未来を感じる。

そして、レースは安全にスマートにかっこよく。体力に関わらずもっとレースの走り方を知る人が増えていくなら、レース本来の楽しみ方も大きくなっていくはず。経験不足に起因する落車は減ってほしいし、一人一人の意識が向上することで北海道のレースがもっともっと発展していってほしい。いつも心にある切なる願いです。


独断と偏見に満ちたレポートかもしれません。今後、サロベツのレースに参加するときに役立つと思って頂けるようでしたら、どうぞこのレポートを参考にしてみてください。


リベンジ!ツールド沖縄
author:ほしの
いつの頃だろうか。沖縄を目指そうと思ったのは。自転車に再び乗り出したのは、つい1年半前。去年の春のこと。ハワイでセンチュリーランが行われていることを偶然テレビで知り、『家族で参加してみようか』と思ったのがきっかけ。海外旅行といえば、タイ、ベトナム、カンボジアなどで、偏っている!と家族には不評であったのだ。『ヨーロッパに行ってみたい!』という家族の願いに対して、君たちみたいなミーハーにはつき合えないと言いつつ、実はお金も暇もなく無理だよなあと思っていた。

しかし、ハワイならなんとかなるかも…。そしてどうせ行くのなら、自分の楽しみや、効果も加味してと考えたのである。
ハワイのセンチュリーランを目指せば、家族の楽しみを追いつつ、自分にとって減量もできる。体重も当時、90s前後もあったのだ。

出場までは決して平坦な道のりではなく、交通事故にあい、むち打ちとなり自転車に乗れない日々が続いた。その時は歩いたり、軽い登山をしたりして体力アップと減量につとめた。モチベーションの維持のためにオホーツクセンチュリーランに親子でエントリーしたり、昔、本州にいた場所で行われるサイクルイベントを目指したりした。また職場では、ハワイで160qを8時間以内で完走すると宣言をした。(当時の私にとって、これはかなり高い目標だったのだ!)

そんなこんなで迎えた当日、なんとか7時間ほどで完走できた。しかし、とても景色などを楽しむ余裕もなく、休憩もほとんどなし。そのため、ハンガーノックになりかけたり、脚が攣ったりと散々だった。そんな中で、余裕をもって、かなり格好良く、私を追い抜いていったロードレーサーの集団があった。その集団と一緒に走ろうとして、2、3分だけは一緒に走っただろうか。しかしすぐに、再び脚が攣り、残された。離れていく集団。いいなあ、あんな集団の中で走ってみたいなあというのが、思えば沖縄のはじまりだったような気がする。

それからは、常時、時速30q以上の速さで走ってみたいというのが、一つの願いになった。(当時は時速30q以上になるのは下りや、よっぽどの追い風のときだけだったのだ)
そのためには、目指すものがほしい。たまたまサイクル雑誌で見かけたのが、ツールド沖縄だったのだ。よりにもよって、ロードレースをはじめてもいないのに、ロードレースの甲子園とも、最高峰とも言われる沖縄を目指そうとしたのが、間違いのはじまりだったのかも??


ロードレーサーでしかできない走りがしたい。沖縄に出場して完走したい。その願いは、膨らんでいったが、そのためにはどうしたら良いのか。おりしも北海道は冬をむかえて、外ではトレーニングができない時期となってしまった。室内でローラーをこいだり、2時間から3時間外を歩いたりする試行錯誤が続いた。

今年の1月になり、どうしても我慢ができなくなり千葉県の富津で開催された6時間耐久のクリテリウム形式の大会に出場した。先頭集団の常時時速35q以上には一度も乗れず、時速32qほどの第二集団で走っていた。その集団とも4時間ほどで、ちぎれてしまったが…。しかし、ある程度のスピードで走れたことに満足できた大会だった。

その後も、春先のヒルクライムの大会に出たり、北海道のブルベに出たりして、とりあえず目先の大会をめざすことによって、実力をつけていこうとした。

しかし、今年もっとも自分の力になってくれたのは、現在私が入っているチームの力が絶対的だ。今年の春に入ったチームは、実力をつけるためだけではなく、精神的にも大きな支えになってくれた。そして、様々な職業の方が、様々な年齢の方がおり、自転車だけではなく、そのほかのことでも学ぶことは多かった。一生おつきあいできる仲間ができたことは大きい。

今回の沖縄の直前でも、多くのアドバイスをいただいたり、すでにシーズンオフにもかかわらず、朝6時からの朝練につき合っていただいたり、膝痛を抱えているのに沖縄一週間前の日曜練習会で限界近くまで負荷を上げて一緒に走ってくれたり、沖縄に入っても当日まで電話やメール等で励ましてもらった多くの仲間がいた。本当に感謝、感激だ。

今年は、そんなチームの一員として、北海道のレースにも参戦した。小中高時代に運動では一度も表彰された記憶もない私が、いきなりはじめて参戦した大会で優勝して表彰されたり(5人の中であったが…)、その次の日には先頭集団についていけずに、ひどく落ち込んでみたり。その悔しさで、トレーニングを続け、またその次の大会では入賞できたりと。アップダウンの激しい一年を体験させてもらった。

いつしか沖縄で完走したいがために入ったチームが、チームで走ることが目的にと大きく変化していった。そんなチームの一員として迎えた沖縄だったのだが…。


11月9日金曜日、大会の前々日。いよいよ沖縄に向けて出発。10月からもう一度、調子のピークをつくるよう、やるだけのことをやった。10月は、およそ走行距離が2000q。それもメリハリをつけ、休養日と負荷を上げた短距離走の日と長距離走の日をバランス良く。少し右膝に痛みがあるが、それも寒くなってきてから出てきたものであるので、沖縄に行けば治るだろうと気にしないようにした。
出発の前日に、チームのボスから電話をもらった。『前日はあまり走らないように。最初からとばさないように…』 さすが、私の性格をわかっています。ありがとうございます。

9日昼前千歳発なので、前日からゆっくりと準備をする。何回か飛行機に自転車を持ち込んでいるので、荷造りには余裕がある。飛行機用の輪行袋で、前後のホィールをはずし、もしものためにお風呂用のマットを2つに切ったものを間にはさむ。リアディレイラーも、梱包用エアーキャップで包む。空港では、自転車に万が一何かがあったときに航空会社の免責に同意をするサインを書かされるが、毎回これは緊張する。何もないようにと、半分祈るような気持ち。いつものように、上積みはしないでほしいとお願いをする。

沖縄の那覇空港には、午後3時ごろに到着した。那覇空港に着いた直後に、チーム員からのメールを受ける。『チームの代表として…』という箇所を読んで、思わず武者震い。それからすぐにレンタカーで、高速に乗り、名護市をめざす。途中のサービスエリアで食事をすませ、当日までの宿泊場所であるプライベートリゾートオクマに直行する。
できれば金曜日に少しでも走っていたい。大会前日は、あまり負荷をかけたくなかったので。しかしチェックインをすますと、すっかりと日が暮れてしまっていた。あきらめて、体育館みたいなところで、自転車を組み立て、近くのコンビニまで試走をかねて走った。よし、大丈夫。自転車に不具合はない。その後、大浴場でサウナに入り早寝をした。

前日、体を慣らすこともあり朝5時に起床。しかし、まだ真っ暗…。7時前にホテルを試走のため出発する。なるべく午前中に動かなければ、前々日から現地入りしている意味がないとはりきる。同じような事を考えている方は、いらっしゃるようで、ホテルの駐車場で、ローディ2人組の方とご挨拶。市民130qのスタート地点である国頭の道の駅に移動する。午前7時ジャストに道の駅をスタート。その直前に、その2人組の方が目の前を通り過ぎる。私がその後方を走ることとなる。少し遠慮して、離れて走ったが、5q過ぎの普久川ダムの上り口のところで、前の2人組がスピードを緩めたので、抜き去り上りだす。調子は悪くない。心拍数の80%弱で上っていく。あれ、こんな道だったっけ?など、よく観察をしながら。

実は今年の3月にも一度沖縄に来て、試走している。その時のイメージとだいぶ違う。あのときは雨が降っていたし、今よりも体力がなかった。しかし、それだけに負荷をかけずに、無意識にゆっくり上ったらしい。前半の緩い勾配だけが印象に残っていて、後半のきつい部分の記憶が、すっぽりと抜け落ちていた。けっこう後半、時速20qの後半から上で上ろうとするときついのだ。先頭集団は、時速30qくらいで上るだろう。それに、ついていけるのか…??そんなことを考えていたら、後ろから先ほどの2人が来た。少し会話をし、私もダンシングを混ぜながら2人のペースにあわせる。しかし心拍数が170拍に上がっている。『いかん〜。ボスに言われているのに〜。』とペースを緩める。しっかりと2人には引き離されてしまいました。
頂上付近で、そのお二方とお話をさせてもらったが、今回はじめての参加で、市民85qにエントリーしているということを聞いて、すっかり自信をなくしてしまった。『大丈夫か〜俺??』
(後日、85qのリザルトを見ると、そのお二方が完走250人中、およそ30位に入っていました。ご苦労様でした!)

その後、ホテルにいったん帰り、今度は車に自転車を積み、普久川ダム〜高江〜平良〜源河〜名護市と走る。思った通り、普及川ダムから高江までのアップダウンがポイントだと感じる。この区間をいかに失速なく走りきれるかが、一つ目の関門だろう。今の私にとっては作戦うんぬんではなく、この区間で全ての力を使いきるつもりで走らなくては…。

その後、名護市で受付をすませ、その駐車場に車をおき自転車でリゾートオクマまで走行した。ほとんど平坦で距離も30q程度なので、明日に向けてのちょうど良いアップになるだろうと思っていたが、いまだ経験のない向かい風で、閉口した。この時期の沖縄の北風はすごいです。前半部分は、いっしょに走ったローディの方もいて、はりあうようにして。後半は一人旅で、さっぱり前に進まず。何か押しもどされるような感じ。けっこう脚を使ってしまった。特に右膝が重たい。本当に頭が悪い…。どうしようもない…。しかし、会う人、会う人すごい人ばかり、さすが沖縄だなあと感じました。
ホテルに着いたら、チーム員からの電話とメール。私は本当に恵まれていることを実感した。さあ、あとはやるだけだ!!

11日大会当日、朝5時に起床。脚に多少の疲れは残っているが、痛みがあるほどではない。大丈夫だと自分に言い聞かせる。ホテルでゆっくりと食事をとる。このホテルは、景色も良いし、食事もおいしい。一人で過ごすには贅沢すぎる。今度は家族を連れてきたい。
自転車は、前日から整備をしていた。各種チェックをし、注油をし、タイヤを布で拭き、切れ目等がないかを確認した。札幌出発直前にタイヤにわずかなヒビみたいなものを発見し、その20Cのタイヤをあきらめ、現在一番信用のおける23Cのコンチネンタルのタイヤに交換してきた。(しかし、このタイヤ交換が裏目となってしまった)

朝食をとった後、リゾートオクマの駐車場で荷物を預ける。まだ夜は明けきれていないが、続々と大会関係者や出場者が集まってきている。巨大なトラックから自転車が次々と搬出されている。また50人乗り以上の大型バスが4台ほど見られる。そのバスの前には収容車と書かれた幕が張ってある。『あのバスに乗るのだけは、嫌じゃ〜』 朝からへんなものを見てしまった…。

自転車に乗ってスタート会場である国頭の道の駅へ。スタート確認票を一番で入れ(最初に入れてもあまり意味がないのね…)、アップへと向かう。あいかわらず、北風が強い。もう少しアップをしていたかったが午前7時を過ぎ、自転車を並べだしたので自分も終了し自転車を並べる。前から5列目で40番目くらい。理想的だと思っていたら、なんとスタート待機場所は違った所で、そこまでの移動で全く無駄でした…。

スタートは8時半過ぎ。ここからの1時間以上が長い。しばらくするとヘリコプターの音がして、チャンピオンクラスの先頭集団がやってきた。その集団が通り過ぎた直後に、市民130qもスタート待機場所に移動。300名ほど。ジュニア国際がスタートした後に、いよいよスタート地点に移動する。私は前から80番目くらい。今回実は秘密兵器を自転車に装着している。それはGPS、これで全ての記録がとれます。どこで手を抜いたかも…。隣の方と、そのGPSの話をしながら、スタートを待つ。嫌な緊張感はない。『スタート2分前です』のアナウンス。右足をクリートにセットする。いよいよだ!『パーン』というピストル音。

ゆっくりと大集団が前に走り出す。ここから与那までは平坦の5q。しかし北風が強いので、大集団のまま様子見の走りとなる。時速30q前後しか出ていない。大集団はブレーキを繰り返し、まったくリズムに乗れない。道いっぱいに広がり、なかなか前には行けない。そのうち『ブレーキー!』『オイー!』の声があちこちから掛かる。前の人の背中が急に迫る。危ない〜。そしてトンネルに入り『落車〜落車〜』の声が。ヒェー、恐すぎる。

いかんなあ。かえって後ろに下がっているような気がする。もう平坦が終わってしまう…なんとか前に行こうとする。80番目くらいに戻したところで、大きく右に曲がり、いよいよ普久川ダムへの上りに入る。上りに入り、逆に集団のペースが上がる。縦に長くなったようだ。前の選手を一人一人、パスして、先頭に近づいていく。ようやく40番手くらいにつけ先頭が見えだす。『よし、くらいついていこう!』 ここからは我慢の走り。力を出しきるのは、もっと先だと考えていた。この位置にいれば、万が一、中切れしたり逃げ集団がでても必ず奥のアップダウンか辺戸岬以後の西海岸で追いつけると、過去のレース展開を調べ、考えていた。そして2回目の普及川ダムの上りでは、今よりももっとペースアップをして、まず先頭集団にはついていけなくなるだろう。しかしそこでなんとかまわりに触発されつつ乗りきり、その後の高江までの気が遠くなるようなアップダウンの繰り返しで力を出しきれば、100番以内にはいくだろうという考えだった。結果的にこれがミスだった。なぜなら自分は下りが異常に遅かったのだ!!(この時はそれに気がついていない…)

心拍数は170前後で、まだ余裕がある。(チームの皆さんありがとう。180拍以上で競り合ってきたおかげです)
上りきり、補給地点を過ぎる。まだ飲料は充分にあるので、パスをして、分岐を左折して下っていく。しかし、前との差がみるみる広がっていき、見えなくなってしまう。それと同時に後ろから何人にも抜かされていく。そのうち、大集団が後ろからやってきて、飲みこまれる。私のいる集団は少しまったりペース。う〜ん先頭集団に追いつけるかなあと少し焦る…。
特にちょっとした上りでも遅くなる。私と同じように考えていた人が2〜3人ほどいたようで、その人たちといっしょに、上りで先頭を引いてみる。しかし後ろがついてこない。私を含め3人が飛びだすような形になってしまう。そんなことを緩いアップダウンで2、3回繰り返し、私もいったん集団内にもどる。一人だけが集団から30mほど前を走っている。

これは、『みんなで先頭を追いかけませんか』と言った方が良いかなと思っていた矢先、私の前の人が、上りのためか、何回か右に左にと蛇行した。危ない!と右にハンドルをきりセンターラインをこえ『まっすぐ走ってください』と声をかけ、また集団の前方に出た。その直後に私の前方から、、『シューシュー』と音がしだしました。

『え、嘘だ。絶対に気のせいだ。俺じゃない〜』と思って走っていましたが、ハンドルが次第に重くなる〜。茫然自失で止まりました。自転車から降りて、後ろを振り返って右車線に行こうとしましたが、そこに集団が来ました。みなさんびっくりしているよう。上りでしたので、かろうじてよけてくれました。私は声も出せず、情けない顔をしているだけ…。ご迷惑をおかけした皆さん、どうもすみませんでした。<(_ _)>

右車線のガードレールに移動しながら、『まさか、これで終わってしまうのか。1年かけてやってきたことがこれでおしまいなのか…。何と言えばよいのか…』、越していく集団に笑顔をつくり『がんばってください!』と言いながらも、頭の中は混乱していた。
それから130qの青ゼッケンの集団を2グループ見送り、とうとう200qの緑ゼッケンの集団がやってきて…。3グループ見送った…。200qのある方から『パンクですか?水余ってない?』と言われたときに、なんの躊躇もなく『ここにありますよ〜!』と言っていた。結局、タイミングが悪く渡せなかったが、止まってから10分も過ぎ、自分の中では完全にこのレースをあきらめていた…。

現在スタートから約31q地点。すでに、スタート後1時間から刻一刻と過ぎている。高江まで、あとおよそ60q…。高江の関門はスタートから3時間後に閉まる…。最悪としてみて、あと1時間30分…時速40q平均…。とても無理だ。

そこに本部の車が来て、若い人が降りてきてくれた。『パンクですか?前ですか、後ろですか?』。『ま、前です!前の10速です!』(10速は関係ない。だいぶ混乱している)。すぐホイールの交換をすませ、その若い人は私の背中を押してさえくれた。坂であったので、助かりました。ありがとうございました。

しかし私の中では、もう無理っぽいなあ。これからもう一度普久川ダムの上りを越えるのかあという思いも正直に言えばあった。一度切れたスイッチを、もう一度つけることは本当に難しいと感じた。

とりあえず、前を追いかける。しかし、なかなか追いつかない。奥の集落に入り、応援してくださる人の顔が目に入る。去年宿泊させてもらった宿のご主人もいたような気がした。
ようやくスピードに乗ってきた。何人かをパスしていく。そこに後ろから200q組の集団がやってきた。たぶん第四集団くらいだろう。200q組は例年完走は150人くらい。だとしたらこの集団の良くて半分くらいが完走するかもしれない…。この集団になんとかついていければ…。と一瞬考えたが、やはりついていくのはやめた。

その理由はモチベーションが低下していたこともあるが、それよりも大きかったのは、このチームジャージを着ていたこと。ボスをはじめチーム員全員が、私をチームの代表として送り出してくれた。
ツールド北海道の前にもよく言われていたのは、他のクラスの集団に乗ったり、他のクラスの試合に影響させるようなことをしてはならないという教えだった。また、きちんとローテーションをして、きれいなレースをしろ!ということだった。チームのボス、リーダー、魔神さんと言われている方をはじめ全員が、レースを楽しみ、レースをできればつくり、積極的なレースをしようという雰囲気で満ちあふれている。
(ちなみに私とは全く次元が違うが、今年の市民200qのレースでもいろいろな事があったらしい。このオーベストの店長さんは、うちのボスに良く似ている。きっと勝ち負けの前に勝手に体が動いたのだろう。結果勝てなかったが、確かにレースを作ったのはこの店長さんかもしれない。やはりほんものはすごいと思います)

そうこうしているうちに、また200q組の集団がやってきた。総勢30名ほどだろうか。130q組も3人ほど混ざっている。しかしここでタイミング良く(悪く?)普久川ダムの上りに入る。急速に集団がばらける。前に5人ほどが集団で先に行き、あとはバラバラ。私は前の5人と少し離れ6番手で上りだす。左側には、本当に苦しそうな人たちが必死になって上っている姿があちこちに…。声をかけながら、私もがんばって上る。(がんばっていたつもりだったが、あとからGPSを解析すると、1回目の同じ上りから6分も遅く、前日の試走のときよりも15秒ほど遅かった。しっかりと手を抜いていたらしい)

その後の高江までのアップダウンは、体はまだまだきつくなかったのだが、精神的にはかなりきつかった。なぜこんなことをやっているのだろう。本当にレースは楽しいのだろうか。このコースは、本当にきついコースだ。もう走りたくないなあ…等々と。

高江で時間切れとなり失格となったときに、悔しさもあったが、正直にいうとほっとした気持ちもあった。あ〜これでやっと終われるなあという気持ち。

それだけに今となっては悔しい。今度来るときは、完走できるかどうかではなく、もう少し上の目標をもって必ず帰ってこよう。そう心に誓っています。

ありがとう沖縄!

さあ去年、今年と、ツールド千葉、ツールド北海道、ツールド沖縄と出場したので、来年はツールド能登出場で4大ツールだー!(違いますね…)


爽やかな秋の一日、札幌市民ロード
author:muto
今年も秋晴れのなか開催された今シーズンの最後を締めくくるこの大会、そう、札幌市民体育大会ロードレース。そのレポートをお届けしましょう。

今日のS3クラスは42名の出走で最も人数の多いカテゴリーとなりスタート前から活性化する予感がしていました。
周回数も9周回と、例年よりも2周ほど増えていて嬉しかったです。

この時期は皆さん足ができあがっているので、最初から逃げるのは難しいと分かっていました。
また、600km完走の一週間後であることや生活の乱れから体調がよろしくなかったのですが、とにかく可能な限り積極的に働きかけてペースを上げ、集団を疲れさせてゴール前の人数を絞り込むことにしました。

スタート前、運良く最前列の端というポジションを取ることができ、最も落車の多い第一コーナーまでは先頭で列車を引き延ばすことにしました。
号砲が鳴り、52-18というギアから一気に加速して前に出ました。
45km/hで前を引き、コーナー直前で2人くらいに抜かれましたがだいたい理想的なスタートを切ることができました。
1周目の終わり、みんながまだ元気だったのでゴール前の最終コーナーから加速し、速度を再度上げました。
その後は、周回数が多いので無駄足を使いすぎないように気をつけながら、集団の速度が落ちすぎないように周回ごとに2回くらい前に出ました。

途中で一人、二人と逃げを試みる選手がいましたが、逃げ切れる様子ではないので集団はあまり積極的に追わない展開が続きます。しかしそれで集団が休んでしまうとゴール前の人数が多くなりすぎるので、前を適度に逃がしながら後続集団の先頭に陣取ってわざと揺さぶりをかけました。前をすこーし逃がし、42-43km/hくらいのみんなが嫌がる速度で追う、、、足を使いすぎてはいけないので、必死に後ろに食い下がる選手がいればすぐに交代。これの繰り返し。

5周目くらいのゴール前で強い選手と二人で逃げっぽくなりましたが、逃げ切れないと判断し、適当に逃げながら集団に復帰。

8周目に入ると前に出られる人とそうじゃない人の差がはっきりしてきました。一気に前に出て逃げてみたくなりますがここで焦ってはいけないと、必死に自重。最終周回に入って第一コーナーを立ち上がったところで集団の後方にいましたので、ここから外側に出て徐々に番手を上げてゆきます。コースの半分まで進んだ段階で先頭5〜6人の中に入ることができました。理想的な展開!!

とおもったら、、、、先頭集団は一列ではなくてちょっとばらけた感じで走っていたのですが、、、私は右端にいたのですが、反対側、左端の前を走っていた選手が斜行!突然コースの右端まで移動してきました。隊列が乱れ、罵声が上がり、速度が落ちてしまいました。私はその被害をもろに受け、先頭から10mほど差が付いてしまいました。左側からどんどん抜かれます。最終コーナーはもう目の前です。ここでちょっと気持ちが萎えかけてしまいました。ただ、今年のシーズンを思い出し、これが最後と思って再び集中力を取り戻し、12-3番手くらいで最終コーナーを立ち上がりました。横目で見渡すと、大丈夫、周りは相当に苦しそうだ。一人、二人、抜きながらゴールになだれ込みます。

うーん、一桁に届いたかな〜?と頭をよぎった瞬間、左から物体(隣の選手の体)が飛び出してきて走行ライン上に!気づいたときにはひっくり返っていて、胸を打っていました。周りが手を貸してくれますが、立てない、、、。何がどうなったのか、よく分からないまま、でした。

というわけで、結局、私は10位でゴールしたものの、直後に落車に巻き込まれてしまいました。
皆さんには申し訳なかったのですが症状が重そうだったので、一足先に帰宅させていただきました。すみません。


帰宅後、ようやくすこし熱も下がってきてメールが打てるようになりました。擦過傷はたいしたことなさそうですが、左半身の打撲がちょっと重いですね。腰が特に痛くて数日は真っ直ぐ歩けない感じですが、ま、どこかが折れたという深刻な状況ではなさそうです。ご心配をおかけしました。

それより、マテリアルが痛いです。メットが破損(これで助かったと思いますが)、その他ジャージもグローブもダメ、CWXのアンダーもびりびり、サドルにも大きな傷が、、、。うーん、体がなんとか助かったからよしとするか、、、


狩勝BRM600
author:とだ
昨年は同じ9月23日に試走会と言う名目で今回のコースを走り、33時間かかった。
天気も悪かったこともあるが。あっちに寄り、こっちに寄り、コンビニがあれば必ず立ち寄ってワイワイ楽しくやって充実した時間を過ごすことが出来たけれど、私の中にいる長距離走者の人格を受け持つ部分はもっと限界まで走りたかったと一年間ぶつぶつ言ってたのも事実だった。
 今年の目標は24時間以内での完走。理由は別にないが、一日と言う限られた時間の中でどれだけ走ることが出来るのか楽しみでもある。

 昨年とは大違いで、秋晴れの綺麗な空に見守られて朝8時に滝川を出発。一緒に走るメンバーもほとんどが何度もBRMを一緒に走り、気心が知れているので集団の中で走っていても気分が良い。
 今回は600kmの長丁場なので、平均速度は初めから32〜33km以上に上げないように走ることにしていたため、集団はあまり切れること無く赤平・芦別を通り過ぎ。紅葉時期になると凄いだろうなと思わせる景色の滝里湖を越えて富良野に入る。
 ここまでは昔の炭坑町が多く、人口が減っても信号は減らないようで、ひっきりなしに信号での停止でイライラが募り始める。しかし富良野を過ぎてしまえば、後は信号の少ない気分の良い道が何処までも続いているのでイライラも徐々に収まってくる。

 富良野を過ぎて麓郷への分岐を通り過ぎると、やがて山部のコンビニが視界に入ってくる。
 先週からカーボローディングしていて、体重も1.5kg程増えているので腹は減らないはずが、御握り2個にジュースにパンと、大食らいの本領発揮。さっさと食べて行こうかと思ったが、他のメンバーはじっくりと休憩を取りながら走るようで、全然動く気配なし。本当は体が冷える前に出たいのだがと、半分諦めているとAJ幹事の武藤さんが「戸田さん、早く出たいんでしょう」と声をかけてくれ、みんなもようやく腰を上げて出発となりました。

 今日は晴れていてじっとしていると暖かいが、バイクで走っていると結構寒い。上は長袖のジャージに下はレーパンにレッグウォーマーと言う出で立ちで丁度良いくらいだ。秋の実りがぎっしり詰まった田圃や畑を抜けて行くと、ようやく最初の難関である樹海峠の登りに入る。ここまで集団を維持してきたが、ここで最初の選別が始まると思うと緊張が高まる。今回は本州から初参加の方が数人いるので、早い人はここで抜け出すだろうと思い、様子をうかがっていると、やはり滝川をスタートした直後に飛び出して暫く独走していた方が集団の前方に出て引き始める。

 結構なスピードで、たまらず集団はバラバラと分解しはじめ、短いが急な峠を越えた時に残っていたのは4人ほどであった。峠を過ぎて幾寅、落合を越えて少し長めだが斜度のゆるい狩勝峠を一定ペースで登って行くと、なんとなくいつものメンバーにプラス1名になってしまった。
 今回のメンバー紹介をすると、山形から来た謎のレーサー山形2号さん(クライマー体型)、いつも限界まで頑張るNORIさん、そして私の3人。走りながら山形2号さんの話しを聞くと、レースをやっている方で、なんと!あの乗鞍ヒルクライムを70分で走りきり、年代別でも上位に食い込む凄足の方でした。フォームも綺麗だし、なんと言ってもスピードアップしてもフォームに乱れも無く、無駄な力が入っていないので、相当な実力者だと私は樹海峠で気が付いていたのです。

 しかし山形2号さん、平地でも全然スピードが落ちない。狩勝峠を下りて清水町に向かう道でも、先頭に立つと33〜35kmで平気で走っている。このペースで行くと20時間を切るペースで、俄然やる気が出てくるが、NORIさんの方が気になる。彼にとってはオーバーペースだと言うことは気が付いていると思うが、彼は体力が尽きるまで頑張ってしまうので、後半のバテバテ状態と睡眠不足の時に大丈夫なのか気になる。そんなことを考えていると清水町に入り、道路向いのコンビニでAJの坂村さんと武藤さんが手を振っているのが見えた。坂村さんがニコニコ笑いながら「早すぎ!」と一言いってくれるが、止まらないものはしょうがない状態でそのまま通過してしまう。

 清水町で左折して鹿追に向かうが、十勝平野と言っても全部平らな訳じゃあない。大小の川が流れて大地を彫り込んでいるため、川に向かって降りて、橋を越えると急な登り坂が待っていることが多い。
 清水町を過ぎるとすぐに佐幌川の下りと登りがあり、次ぎに十勝川の下りと登りがあり、ヒルクライム苦手人間の私にはちょっと辛いものがあった。しかし山形2号さん、スイスイと気持ちよく登ります。
NORIさんも辛い顔一つ見せずについて行く。
 ちょっと泣き言をいいたくなった頃にようやく鹿追の町に到着。ここはPC2のコンビニがあるので、疲れた体には有り難い休憩タイムとなります。
 遠くに然別湖を囲む天望山等の山並みを見ながら補給をしていると、軽い疲労もだんだん消えてここまで走ってきて本当に良かったなと満足感120%の状態になり、3人で足寄目指して走り始める。

 これから走るルートは十勝平野を横断するルートで、初めは登り基調が瓜幕まで続き。ついでややアップダウンはあるものの下り基調で音更川まで走り。その先の士幌から先は少し登り基調で、軽く峠を越えて足寄に降りて行くルートだ。このルートで注意すべき点は、帰りの道中にあたる午前中や昼間に士幌方面から瓜幕に走って来ると、強い向かい風になりやすくペースが上がらないことだ。
 幸い私たちの走った時は軽い向かい風であったが、下り基調とローテーションがうまく回り、あっと言う間に士幌まで行ってしまった。
 そろそろ走行距離も200kmになるのでサイコンを見たが、恐怖の数字がそこに表示されていた。なんと200kmでの走行時間は6:17分、平均速度は31.7kmとなっていた。これは2回の休憩を入れても7時間切るタイムだ。このまま行けば凄い記録になるが、私の調子は悪い状態が続いている。
 じつは今回のブルベではいつも使用しているクロモリ号の調子が悪く、息子のアルミバイクを持ってきたのだが、ポジションが合わずにあちこちの筋肉が悲鳴を上げている状態が続いている。ハムストリングスの異常な筋肉痛はサドルを前に出したら治まったが、引き足を使っての走行は全然できない状態が続き。近すぎるハンドルポジションは上体が起きすぎて、ペダリングがすかすかしている。
 しかし、ここまで来て泣き言いってもしょうがないので、ひたすら2人の後を付いて行く。

 足寄の町はやや急な下り坂を過ぎた所に広がっていて、印象は地方都市そのもの。廃線になった“ふるさと銀河線”の駅舎がやけに立派で、ご当地ソングの松山千春の歌声がスピーカーから流れていたのが印象的であった。足寄のPC3は市街を通り過ぎて数q行った先にあり、3人でジベタリアンに成りきってしっかり補給。ここから先は我慢比べと言い聞かせて、薄暗くなり始めた道を陸別目指して走り始める。さすがにここまで来るとペースは落ち始め、時速30km程度の巡航速度になる。
 足寄から小利別までは利別川に沿って緩やかな登り基調が続き、だんだんと薄暗くなる頃に陸別を通り過ぎる。昨年はここの駅舎がキーポイントになり、最終的に一人旅の始まりとなった懐かしい場所だ。

陸別を過ぎると暗くなり、両側から迫る山の影が空の明るさを覆い隠し、だんだんと周囲の識別が困難になってくる。小利別の分岐は真っ暗で非常に判りにくく、もう少しで通り過ぎる所であった。山形2号さんとNORIさんには、その都度コースの状況を説明して走ってきたが、前回走った時とスピードが違いすぎることと、暗いこと、ふるさと銀河線の踏切が無くなっていたのが原因であった。

小利別から訓子府間には峠がある。元気な時には練習コースにもならない、往復ともだらだらとした登りが続く峠だが、疲れて北見から戻ってくる場合は非常にタフな峠となる。行きは幾つかの登り返しを少し我慢すれば頂上に達し、あとは訓子府までひたすら下り坂で、最高速度は50kmオーバーの寒さにふるえながらのダウンヒルを満喫するが、帰りのことを考えるとやる気も下り坂になってしまう。

訓子府から北見国道に出るまでにも幾つかのアップダウンがあり、一つ一つが足にくる程急で短く、「もう少しで北見の折り返しだ〜!」とみんなを励まし、19:15に北見の国、相内に到着。
記録はここまで走行308kmで、走行時間は11:15分。この記録は恵庭300での私の記録と全く同じ。かなりショックでした。恐らく平均速度は30kmオーバーのまま。恵庭300の時は最後の100kmを全力で飛ばし、PCでの休憩も早めにすませての記録だったので、この3人組全員「魔人」の称号を名乗ってもおかしくないと思われる。

昨年は相内に夜中の2時に到着し、その時の気温は+4℃。今回は随分早い時間なのでそれ程寒いとは思わないが、時間と共に確実に気温が低下し始めているので、リアバックからカッパの上を取り出して重ね着する。ここまで走って気が付いたことが一つある。PCとPCの間隔がバイクで走って3時間ほどに設定してあるって、とても走りやすいことだ。今更ながらAJの方々に感謝!

相内を19:50頃に出発。難関の峠が一つ控えているので、出だしはゆっくりだ。小さな登り下りを越えて、訓子府の町を通り過ぎると峠の入り口。峠の上から白いライトが闇を切り裂いておりてくるのが見える。後続の参加者だ!嬉しくなって思わず大きな声をかけて応援する。
この峠は鬱蒼とした樹木に覆われた、実に心細い登り道がだらだらと5〜7kmも続き。外灯一つない道を一人で走っているとヒグマにシカも平気で出てきそうで、よほど神経が太くないと足がすくんでしまいそうだが。それ以上に何処までも続く登りで足がだんだんと重くなる。こんな時は頑張らないのが私の信条。ギアを軽くしてケイデンス80前後、心拍は140〜145に抑えて走る。山形2号さんはもっと早く行けるのにわざわざ待っていてくれる。
有り難いな〜っと思って後ろを振り返ると、私だけじゃなくてNORIさんも遅れ始めている。相内で少し辛そうな顔をしていたので心配していたがここで限界に来たようだ。ここまで頑張って3人で作ってきたブルベだ、最後まで力を合わせてゴールしようぜ!と、かっこよく文書をつづりたいけれど、実のところ私自身も足が売り切れ間近で、坂の途中で山形2号さんとNORIさんを待つと言いながら、半分は休んでいると言うのが本音でした。

ようやく峠の頂上と思ったらニセピークで、そんな糠喜びを数回やった後でようやく頂上に到着。小利別までの起伏のある地形を走っていると闇の彼方から白い灯りの集団が現れ、互いに励まし合いながら通り過ぎて行く。自転車の夜間走行時はほとんどの参加者がLEDのライトを3〜4個装着し、ヘルメットにもヘッドランプを一つ装着しているので、数人で走って来ると小さな灯りの集団がこちらに向かってふわふわと飛んで来るようで、UFOか?狐に化かされているの?と一瞬驚いてしまうが、落ち着いて見ると自動車のような暴力的な明るさじゃなくて、やさしい明るさで周囲の自然にとけ込んでゆきそうな感じがして癒系の明るさだ。

ようやく小利別に出て、足寄までは登り下りはあるけれど、ゆったりとした下り坂。NORIさんも私も少し元気が出てきて足が快調に回り始める。陸別ではAJ北海道の方(後で高見さんとわかる)が声をかけてくれて勇気百倍。ひたすら下りってこんなに気分良く走れるなんて思わなかった状態です。
ところが足寄のPCに到着して後ろを見ると、いるはずのNORIさんがいない?どうやら途中で居眠りして遅れたようで、しばらくすると笑いながらPCに到着。時間も22:40頃で寝るにはまだ早いが、[真っ暗闇で星がやけに綺麗+車も通らず独りぽっち+自分の出す音以外は無音状態=意識が飛んでいる]の方程式が成り立つ条件がばっちりでした。
 足寄PCを23時頃に出発。ペースはLSD近くまで落として3人で進んで行く。なぜLSDペースかと言うと、足寄から先の道路は車が走っていないからです。特に士幌から瓜幕までの十勝平野横断は道路占有状態で、あの長い距離の間に我々3人組を追い越した車が2〜3台程度で。眠くて蛇行運転しようが、3列になってお喋り走行しようが、道の真ん中で立ち止まって井戸端会議をしようがお構いなし。つまり話しに夢中でペースが上がらなかったのが正解でした。

 午前2時30分にようやく鹿追に到着。今回のブルベは寒いので飲料はあまり購入しないが、サンドイッチだ、カップ麺だ、ソーセージパンだと、やけに食い物ばかり買いあさっているような気がする。
 普段は大食いしないようにしているので、エネルギー補給を言い訳にこの時とばかりに食い散らかしているのも原因か。
 ここ鹿追でNORIさんが「眠いから寝る!」と宣言して道の駅のトイレに緊急避難。相内から鹿追まで、随分無理して走ってきたと思うと頭が下がる。ゆっくり寝て元気になることを祈って出発。
ここから先は山形2号さんと私の2人旅。さすがにLSDペースは無いだろうと思うなかれ。道は依然と独占状態で話しは尽きず、コース説明に昨年の試走会の話、狩勝峠の登りでは徐々に明るくなる空を見ながら景色の話しに、はては峠の頂上で立ち止まって夜明け前の十勝平野の展望を満喫するありさま。ここまで一緒に来てゴールが見えてきたことと、長い夜が明けた喜びがそうさせたのでしょう。

 ようやくペースが上がり始めたのは狩勝峠を下った落合の集落あたりからで、冷えた体を温めるために飛ばし始めたのがきっかけでペースが落ちなくなり、30kmオーバーの世界に突入。
 上り下りはあるものの、ルートは空知川に沿ってつづく下り坂、金山越えの樹海峠も山形2号さんとダンシングで快調に越え、昨年はサドルにあたる尻の痛さに耐えかねてしばらく休んだ防風柵の場所も通り過ぎ、首や肩に腰の痛さに悲鳴を上げて休んだ富良野PC手前のログハウス風のトイレも風になって駆け抜け、あっと言う間に富良野のPCに到着。レシートを見ると6時30分。
鹿追から4時間かけて80kmを走ったのでたいして早い訳じゃないが、残りの距離が72kmなので、このまま流しのペースで走れば25〜26時間で完走できそうだ。
 山形2号さんの話しだと、本州のブルベではスタートすると直ぐに逃げ集団が発生し、集団の先頭を走る人は疲れてゆずるまで先頭交代をしないそうだ。そして一人減り二人減りのサバイバル走行でゴールを目指すのが基本なので、こちらのように仲良く集団走行するのに驚いたそうだ。(若干一名、本州並みの方はいますけどね)本州のブルベはやはりレースの延長と言う部分があるようで、そういえばスタートして少し経過した時に山形2号さんが飛び出して先行した理由もわかりました。

 太陽もようやく高く昇るとだんだん暖かくなり、PCで防寒用のカッパを脱いでバックにしまって走り始めたが、ポカポカと太陽に照らされて体温が上がってくると眠気が徐々に忍び寄ってきた。気が付くと自転車を走らせながら寝てしまっていたり、まぶたに錘がついて強制的に閉じようとしたり、頭の回転が斜度30%のヒルクライムのケイデンス並になったり、かなり危険な状態になってきた。
 これはきっと緊張感がないからだ! と、そう思った私はどうやったら緊張感を取り戻せるか考えた。そして出た結論は飛ばすこと!(単純と言うなかれ、私にとっては実に効果的な方法だ)
 これから先、富良野はもちろん、行きに通ってきた幾つかの町中を通るので、居眠り運転は非常に危険で、緊張感を維持できるスピードでゴールまで走りきるのが一番。幸い足寄から狩勝峠まで足を充分休ませていたので、それ程無理しなくても30〜35kmのスピードは出せるし、山形2号さんも余裕で付いてくるので、とにかく飛ばしはじめた。
 するとあれほど強かった眠気がぶっ飛んで行き、頭の中はすっきり元気百倍、今日の天気並みに気分爽快になり、周囲の風景を見る余裕も出始めた。そうすると現金なもので、到着予定時刻なんか予想し始める自分がいる。折り返しの峠で足を止めた時点でタイムは関係ないと走りを変えたのに、体育会系の自分がいきなり復活していた。

富良野を過ぎると滝川まで50kmほどを残すだけ、昨年は膝の痛みを抱えて、だんだんと耐えきれなくなる痛みをこらえての地獄街道だったが、今年は体力が余っている分、昨日のブルベのスタートの時よりも調子が良いくらいだ。次々と町を通り越してゴールまで20〜30km地点で携帯電話を取り出す。実はスタート前にAJ北海道の幹事さんに、快足列車の到着が早いと無人のゴールに到着すると言われたのでAJHのF-muto氏に携帯で連絡。ちゃんと待っていますと返事をいただき、安心して快速列車から高速列車に変更してお城の見える赤平を通過。
後はもう一息と国道を右折して高速の下を抜け、山形2号さんと息を合わせて小さな峠をダンシングで猛ダッシュして通過し、最後の交差点を左折。運動公園に沿って続く道の彼方にAJHの坂村さんと武藤さんの姿が見えたのでもう安心、最後は山形2号さんと並んで撮影用の笑顔でゴールでした。

 北海道で初開催のBRM600の感想は楽しかったの一言です。昨年の試走会と比べると条件があまりに違いすぎるので比較になりにくいのですが、とりあえず比較してみると。
走行時間  昨年33時間。今年25時間。
 昨年はnakayoshi試走会と言う遊び心が充満した楽しいイベントでの走行。今年は70%本気モードの走行でした。
走行時間の短縮によりプラスになったと思う個所。睡眠不足との戦いの時間短縮・向かい風が吹く前に難所を通過・気温が上昇する前にゴール・サドルやハンドルにあたる部分の痛みが少ない・早く休める・時間に余裕がある等々。
休憩  昨年は40〜50km程度走っては休み、コンビニに寄っては2006年へ向けての食材調査や、記念撮影をしていたような気がします。今年はPCのみでの休憩でお遊びモードは無かったなあ。
実走行スピード  昨年は前半25〜30km程度で、後半は膝の故障で大幅ダウン。今年は折り返しから150kmほどは18〜25kmのLSDペースだったが、それ以外は30〜35kmのハイペースで巡航。
天候  昨年は雨! おまけに夜に晴れてきて放射冷却現象により、北見相内で+4℃。帰りは晴れて良かった物の、気温上昇で脱水症状になったりと踏んだり蹴ったり。
 今年は行きも帰りも晴!おまけに夜も気温が下がらず快適。帰りは暑くなる前にゴールしたので、地獄のラスト100kmは味わわずにすむ。
体調  昨年は200km過ぎからの右膝痛が全てでした。赤平市街を過ぎて直線で数百メートルのゆるい登りが激痛のため登れず、半べそかきながら通過したのが懐かしい。
 今年は元気が余って走り足りなかったが、バイクが変わったことによる筋肉痛で思い切って飛ばすことが出来ず、結果としてそれが良かったのかも知れない。
睡眠  昨年はコンビニで眠気を取る薬物を2回購入し、強すぎる薬のため吐き気と戦って走った。おかげで眠くならなかったが、滝川から自宅への帰り道で眠くなり地獄の思いをした。
 今年は薬物依存症を解消し、最後まで(一部訂正)元気で走ることが出来た。ただし、昨年の反省を生かしてマットを車に積んで持ってきて、ゴール後に木陰にマットを敷いてやや暫く快眠。すっきりと目覚めて自宅に帰りました。

今回もAJHの皆様の応援有り難うございました。わざわざ遠くから応援に駆けつけてくれたけれど暗くてあえなかった幹事の方もいました。また、今回同時に行われた400や300の参加者の方も元気に走られたようでした。実は狩勝峠の登り(十勝側)を登っている時に対向車線を300参加者の方が通られたのですが、疲れていた時に仲間とのすれ違いって有り難かったですね。
  目標のタイムは達成できませんでしたが、その楽しみは来年に持ち越しということで、今回も楽しいブルベ有り難うございました。


いまさらジャパンカップ
author:Kon
大変遅ればせながら、10月21日(土)と22日(日)に宇都宮で開催されましたジャパンカップについてレポートしようと思います。画像はありません。ご容赦ください。

22日(日)にプロツアーチームの参戦するロードレースの前日21日(土)は、スタート時間の早い順に、
1) 自転車の車種を問わないプロ選手と一緒に走れるフリーラン14キロ
2) ロードレースに参戦経験のある自転車愛好者によるチャレンジレース24キロ
3) 実業団選手も参戦するオープン男子
4) 全日本チャンピオンでありイタリアでも活躍している沖美穂選手や、元アティックに在籍した○上選手も参戦したオープン女子
というふうに開催されました。

私は、アップをかねてフリーラン、チャレンジレースで上位集団でゴールと思い描いてフリーラン14キロのスタートです。

スタート直後の坂を上り、1キロほど行くと、古賀志林道の九十九折れを上ります。のんびり上っているんですけど、結構きついです。4〜5キロあるんじゃないかと思っていましたが、コース図を見るとわずか1キロなんですね。
プロ選手はと見ると、全然頑張らないですいすい上ってます。30分程度で走り終えた段階で、チャレンジレースの上位集団で・・・の目標は、ガンバッテ完走という目標にあっさり変更しました。

号砲とともに、いよいよスタートです。出走登録は216名。出走者は何名かわかりませんが、道幅いっぱいにサイクリストがスタート直後の坂を上り、トップが坂の頂上あたりに到達するころ、自分はスタートラインを越えたような気がしました。

日曜日のプロレースでも勝負どころとなる古賀志林道に差し掛かると、もう足にきているじゃないですか。でも数人抜いて、数人に抜かれ、頂上を越え、下りきった平地区間では、なんとなく足も回り出して、小集団の先頭引いたりして前の集団に追いついたりなんかしちゃって、気持ちが浮ついています。これが通算3回目の古賀志林道で足が攣りそうになった元凶だったのかもしれません。

平地が終わると、鶴カントリークラブの入口手前までゆるーく上っていきます。鶴カントリークラブ辺りの坂も距離は無いけど結構きついです。ハーハーゼーゼーもうやめようかな・・・なんて考えています。

やめようと考えながらも、2周目へ向かいスタートゴール地点を通過するときは、結構沢山のギャラリーとメーカーの横断幕で華やいだ中を無理してできる限りのスピードで通過しました。気がついたら今日三度目の古賀志林道です。
ここでやめて引き返すのも、ぐるっと回ってスタートゴール地点へ戻るのも同じかな、と自分に言い聞かせて頑張りました。と、そこへ元アティックメンバーの安○さんが、「やっと追いついた」といって横を抜いていきました。後姿にゼッケンが半分落ちかかっているのは落車のようです。Time・VXR大丈夫かな?

2周目は、プロツアーの最終周と同じく10キロになります。結構きつい坂の鶴カントリークラブは通らず、ショートカットですがゴールまでは上りです。インナーでくるくる回しながら、ゴール手前で後から1人に抜かれましたが、争う気になれず、結果125位でした。トップから8分半ほどの遅れです。
会場は、スコットやディスカバリーチャンネルやスペシャライズドやインターマックスやパールイズミのブースで賑っていました。

プロツアーチームも参戦する22日(日)も観戦しに行きました。自分が一生懸命登ったあの坂を、すいすい上ってます。一生懸命とかガンバッテとかそういった感じはありません。普通に上ってます。ダンシングもきれいですね。住人さんのダンシングを思い出しました。会場にもものすごい人です。こんなにロードレースファンっているんだなと感慨深いものがありました。


ツールド北海道市民レース参戦記
author:高野
9月16日(土)快晴の中、芦別三段滝公園をスタートして三笠総合運動公園までの35kmで争われるB_b-4クラスにチーム員の渡辺さん、高橋さんとともに参加しました。
今回の個人的な目標・課題は3つ。(アップダウンがあるコースなので着は最初から想定外)

(1) 先頭集団でゴールすること
道新杯以来、先頭集団ゴールがないので最優先課題。登りで遅れるのは明白なので、登り終了時に集団の後方に残っていられるような作戦・位置取りを心がける。

(2) チャンス(そして脚)があれば自らアタック等してレースを楽しむこと
先頭集団に残っていることが大前提ですが、リザルトよりもとにかく色々やってみて経験を積む。

(3) 落車しないこと、集団落車に巻き込まれないこと
過去3度ツール市民に出場していますが、すべて落車で一度もまともに走れていないので、集団では常に前方でローテーションに加わること。下がってしまった場合も常に端に位置取りして落車のリスクを減らすことを心がける。


事前に試走ができなかったため、当日は少し早めに現地入りして車でコースの下見を行いました。以前に何度か車で通った時の印象は「アップダウンが続く」というものだったのですが、下見してみると登りは最初に6%前後があるだけで、その後はほとんどが下りでした。最も注意が必要なのは、排水用の溝が道路全幅に渡って切ってある区間。しかも一部は覆道です。

「これだけ下りがあれば、登りで千切れても追いつけそうだ」と、自称、下りが得意な私としては一安心。オーバースピードによる単独落車さえ気を付ければ、と精神的に随分と楽になりました。

一通りコースを下見したつもりでいたのですが、肝心のラスト数キロの道を間違えてしまいました。受付時間との関係で引き返して再確認することは無理であきらめたのですが、今思えばレース展開に少なからず影響しましたね。

今回は道路占有時間の関係から初めて「ゴールに集合しバスでスタートへ移動」という方式が採用されました。半ば予想はしていましたがウォーミングアップの時間が想像以上に取れず、三段滝組は10分程度しかアップができませんでした。(皆同じ条件、と言いたいところですが、サポート付きでしっかりローラー台でアップされている方も数名いました)

我々B_b-4クラスのスタート時間は、富良野スタートのB_a-1〜3クラスのメイン集団が通過した後の設定。10時40分に召集された後、スタート位置で上位クラスを待っていると、来ました!
高校生のB_a-1クラスと、S-1選手がひしめくB_a-2クラスのトップ集団。我がチームのS-1選手、内山さん・本谷さんもしっかり好位置をキープしています。そして後続スタートで追いついたのでしょう、B_a-3クラスの田沼さんも同一集団で走行しているのを確認しました。

少し遅れてTEAMアティックのリーダー武藤さんが、トップ集団からこぼれた選手達を引き連れて集団を形成、豪快に先頭を引っ張っていきました。

走り去るチームメイトに声援を送った後は、いよいよ我々のスタートです。「スタート1分前!」一斉にクリートをはめる音が鳴り響きます。

「5、4、3、2、1、、バンッ!」

「うわぁ〜」

えっ? 聞き覚えのある声とともに、隣にいた選手がこちらへゆっくりと倒れてきます。「こりゃまずい!」と、渾身のひと漕ぎで前に出つつ横目で確認すると、渡辺さん・高橋さんほか数名が立ちゴケに巻き込まれていました。

「大丈夫かな〜」と思いつつ集団の前方に位置してレース開始。ローテーションがイマイチ上手くまわらなく、結構先頭を引かされ序盤から脚にくるなぁとか思って走っていると、渡辺さんが右外から上がってきました(立ちゴケの影響はなさそうで一安心)。二人で何度か先頭交代するものの、ローテに参加する選手は一向に増えません。

途中、路上で呆然と立ち尽くす本谷さんと、それを橋の欄干に腰掛けて見ている田沼さんを発見!
おそらく落車に巻き込まれたものと思われ、集団にも緊張が走りました。

そんなこんなでそのまま登りに突入。ここまで予想以上に脚を使ってしまいましたが、登りの終わりで集団の後ろにとどまれるよう先頭で登りに入る予定だったので一応作戦通りです。
前週、雨の中10%激坂を何度も登り、何となくコツを掴んだダンシングを試してみます。前半はとってもいい感じで、このペースなら「作戦成功」と思ったのも束の間、徐々に遅れだし結局下りに入ったときには、集団ははるか視界の彼方でした。(まだまだ登りは鍛えないと・・・)

しかし、ここからは延々と得意な下り。ハンドルポジションをブラケットから下ハンに持ち替え、追撃開始!です。
すぐ後ろにいた選手達は下る度に遠く、遥か前の先頭集団は下る度に近くなっていきます。途中、何度かオーバースピードでコーナーに進入し「ヒヤリ」とするものの、順調に差は詰まってきました。(私よりももっと下りの速い選手が一人いて追撃中に抜かれたのには脱帽しましたが^^ )
いよいよ集団の後方に追いつくと、そこには高橋さんがいたので「ただいま^^」と、ご挨拶。

これで第1の目標はほぼクリアできそうです。


さて、B_b-4クラスの先頭集団は、いつのまにか武藤リーダー率いるB_a-3クラスの集団を飲み込み、倍ほどの人数に膨れ上がっています。下りとは言え、集団に追いつくのにまた結構な脚を使ってしまったので、しばらくは最後方で脚を休ませながら、集団の様子を観察していました。
かつて私もそうでしたが、ツール市民ロードは「これにしか出ない」選手、普段集団走行を経験していない選手が沢山参加しています。不用意にブレーキを掛ける選手、急に進路を変える選手が相当数いる集団は、はっきりいって「めちゃくちゃ怖い」。
ベテラン選手が「怒声・罵声」で集団内をコントロールしていましたが、やっぱり落車も発生してしまいました(何のことはない平地の直線。一瞬の集中力の途切れが原因と思われます)。何か良い解決策はないものでしょうかね。

下りも終盤に入ると、遅れ始める選手が出てきました。下りでは重力で自然と前に出てしまう私は、徐々に集団内でのポジションを上げていきます。平地区間に入ると集団内のポジション争いがさらに活発化(前述の落車もここで発生)。私も負けじと、センターラインぎりぎりを通って集団の前方に上がっていきます。そしてコース下見で間違えた分岐を正しく曲がり一路ゴールへ。
ここからは未知のコースですが、確か以前に車で通った時の記憶では、ちょっとしたアップダウンがあったはず。残り距離も少ないので、そのうち「○km to Go」の表示も出てくるはず・・・。

このまま集団スプリントで勝負!というのも頭をよぎったのですが、初志貫徹で第2の目標を実践。そう、憧れの「アタック」です。

前方に「3km to Go」の看板が見えました。何だか不思議と「今だっ」という感じがして、登りの苦手な私が登りでアタックを決行してしまいました。それはもう必死でスプリント。潰しにくる選手はおらず、後ろで見ていた武藤さんも「決まった。もしかして勝ちパターン?!」と思ったそうです。

が、しかし、現実はそんなに甘くはありませんでした。必死で走っていると、何と!また「3km to Go」の看板があるではありませんか。

「ガーン!」

最初に3kmと思った看板は5kmの見間違いだったことにここで気付き一気に弱気モードへ、そして集団に吸収されたのでした。アタックする脚はあっても、その後逃げ続ける脚が残っていないのは、後ろの選手達にはとても滑稽に映ったかもしれませんが、個人的にはとても「レースを楽しめた」瞬間でした。

後は集団でそのままゴールを目指しましたが、ゴールスプリントする脚はすでに残っておらず、格好だけはスプリントで集団のほぼ最後尾でゴール。この瞬間、今回の3つの目標・課題は達成でき、個人的には満足のいくレースとなりました。

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レース後札幌に帰る車中で渡辺さんと話していたのですが、以前戸田さんがMLで書いていた「疲れた状態から、いかに踏めるか」を強化する必要を特に感じた今回のレースでした。そして、登りはまだまだ強化が必要ですね。アティック杯までにさらに精進しましょう。

次はモエレでのクリテリウムとなる市民大会。登り坂はないので、今度は着も狙って、さらにレースの展開も楽しみたいと思います。

最後に、今回もチームに入っていることの有り難味を目一杯享受した、楽しいレースでした。
チーム員の皆さんに感謝です。これからもよろしくお願いいたします。


豊富100マイルロードレース
author:とだ
7月30日に行われた、豊富100マイルロードレースにS2クラスで参加した、そのレースレポートです。

29日15時頃に豊富に到着し、明日走るコースの試走をみんなで行ってから、食事と買い出しをすませて兜沼キャンプ場に行きました。すでに遅い時間だったので急いでシャワーをすませて、そのあとに軽いミーティングと、ビール片手に軽く激励会を行って盛り上がったあと、22時頃に消灯。

北緯45度を越えて稚内に近いので、寒いだろうと思っていたら以外と暑くて、寝袋の中は汗だらけになってしまい、夜中に起きて寝袋から脱出したり。寒さで目が覚めてズボンをはいたり、明け方の雨で雨のレースはどうやって走るのかを、半分眠ったような状態であれこれ考えたりと、十分な睡眠が取れないまま起床時間となる。幸い水たまりの出来るような雨ではなかったようで、車や舗装道路が黒く濡れている程度だったので、洗面と軽い朝食の後、撤収準備をして6時に兜沼キャンプ場を後にする。途中、補給用のボトルを冷やす氷をコンビニで購入し、7時過ぎに会場到着。早速バイクを降ろしてアップと思ったけれど、先に受け付けと出走サインをすませる。ここでビックリニュースが飛び込む。S2でエントリーしていたH君がS1に変更されていました。本人もショックのようで、チーム員から慰められて、今日は完走目指して頑張る気持ちになったようです。

当初S2は、UさんとH君と私の3人で走る予定で、途中で私が逃げて集団の足を使わせ、2人は後方待機で最後のスプリントに備える予定でした。その後、十勝で行われた大会でUさんが優勝してS1に昇格し、H君と2人で頑張ろうと誓っていたのに、お互いにショックでした。

とりあえず受付をすませ、各自アップを始めます。私はMさんとUさんの3人でコースを途中まで走ってから引き返し、時間が来るまでゴール前の上り坂を何回か走って、へろへろになってゴールするイメージで、LSDペースのスプリント練習を何回か行う。

今日はプログラムの進み方が早いようで、アップが終了したと同時くらいに開会式が始まり。あれよあれよと言う間に選手の招集がかかってしまう。

少し慌ただしいが、くよくよ考える時間がない分、割り切って走れるのでかえって良かったかも知れない。一番最初にスタートするS1クラスのUさんとH君は片平さんに色々とアドバイスされ、緊張した面持ちでスタートを待っている。やはり超人がたくさん居ると言うS1クラスで走るには、よほどの覚悟がいるようだ。私はこのままS2でレース人生を終えるのが丁度良いかも、などと馬鹿な事を考えていると、号砲が鳴ったかどうかわからないが、クリートの音高くS1がスタートして行きました。

S1スタート後、5分でS2がスタートです。私は片平さんに、勝ち負けに関係なく、途中で逃げて男らしくスパッと討ち死にしますと宣言してあるし、H君から、「昨年は結構ノンビリ走ってましたよ」と助言を受けていたので、そのつもりでスタートを待っていました。

いよいよ8時35分、S2のスタートです。カチャカチャとクリートを装着する音を響かせ、S2とJ(高校生)クラスがノンビリと、じゃなくて、結構なスピードで走り始めます。最初の下りをおりて平地でスピードメーターを見ると40kmオーバーです。話しが違うと思っても、すでに後の祭り。なぜか集団の前方でローテーションに加わっている自分がいました。

少し落ち着いて回りを見渡すと、大滝で知り合ったKさんがいるし、会社の同僚のS君もいたので、それぞれに挨拶して緊張をほぐしておきます。集団で進んで行くと、早速路上に横たわるS1の選手を発見。一気に集団に緊張が走る。一周目は全体に高速で進み、若干スピードが落ちたのは中間の登り区間だけで、あっと言う間に2周回目に突入していった。

集団全体はH君の言ったようなノンビリモードは感じられず、高速を維持しつつ飛び出しをつぶすような雰囲気をただよわせて進む。2周目中間の登り区間で早速ふるい落としがかかり、ヒルクライム系の選手が様子見で飛び出し、やや一列棒状に集団が変形する。私は体重制限に引っかかっていて、登りで頑張ると足が無くなってしまうので、あまり無理をせず、登りの手前で集団の先頭に立って、登り切った時に集団の後方に位置する走り方をする。

みんなヒルクライマーに遅れまいと、登りをダンシングで頑張って登って行くのですが。その横で涼しい顔をして登っているとヒンシュクを買いそうなので、一応苦しそうなフリをして登り切り、ようやく私の得意区間の下りに入ります。体重が重い私は、下りでは何もしなくても先行する選手に追いつき、追い越して行けるので、今回は下りでガシガシと踏めるようにと、ギアは11Tを選択。
下りで後方から一気に集団の先頭に飛び出して、平地でローテーションに加わります。平地を過ぎてアップダウン区間に入ると、集団の動きがゆっくりしてきました。どうやら中間の登りで使った足を休ませているようなので、私も一緒に休憩を取り、3周目に入ります。

3周目に入るとローテーションがうまく回らなくなる。集団前方に出てきても、ローテーションに入るわけでもなく、3〜4番手をキープして動かない選手がいるので、思わず「回さないのですか」と声を掛けると、回す気がないようで集団の後ろの方に下がっていってくれた。

私のほうはここまでローテーションで加わっていて疲労が濃くなったので、一時集団後方に下がって休み、中間点の登り区間が近くなると前方に出て、先ほどと同じ戦法で登りを通過する。今回は先ほどよりも登りがきつく感じたので、登り切って前方を見ると結構後ろまで下がっていた。あわててギアを最大にして集団の前方に復帰。会社の同僚のS君が頑張って集団を引いているのが見える。練習不足と言っていたが、走り始めると燃えてくるのはみんな同じなんだなあと、妙に感心してしまう。

平地区間を過ぎてゴールに向かうアップダウンに入ると、集団のスピードがだんだん上がってくる。いったいどうしたのかと思っていたら、3周目の終わりにポイント賞があるのを思い出す。

ここで何となく集団の前方に押し出されて、集団を引いている自分を発見。後ろを見ると、いつも顔を出している黄色いジャージのチームの選手と、その後ろに同僚のS君がいる。一瞬迷ったが、ここで一気にペースを上げて集団の足を使わせるのも作戦かと思い、下りで一気に加速。登りはその惰性で登り切り、ゴール前の下り坂まで目一杯踏み込んでそのままゴール手前200mまで頑張り、あとはコースの左に寄って黄色いジャージの選手と、同僚のS君がスプリントを掛けてゴールを通過するのを見守る。

スプリント合戦が終わり4周目に入った下り坂区間で集団に追いついて、S君に「取れたかい?」と聞くと「取れました」との返事。ここで集団はかなり疲れたようでスピードが落ちローテーションも全然回らなくなる。集団を引くのは私と数人の選手だけで、私も先ほどの鬼引きの疲労が残っていて、積極的に集団を引けず、結果として集団はここでかなり回復してしまう。ちょっと作戦ミスかなと思って中間の登り区間に入ると、今度はかなり強力なアタックがかかり、4〜5人の選手が先攻して頂上を通過するのが見える。私は約100m近く遅れて頂上を通過、逆に登りで足を使っていない分、下りでガンガン踏み込み、続く平地区間も45〜50kmで飛ばして行くと、平地区間の終わり近くで逃げ集団に追いつく。後方を見ると私の後ろに何人かの選手が続き、逃げ集団も私が近づくのを確認すると一気にスピードを落として集団は一つにまとまる。

「う〜ん、俺はいったい何をしているのだろう」とここで自問自答。なんだかうまく利用されているような気がするのは私だけか?

先ほどの逃げ集団もつぶれ、ゴール前のアップダウンを走っている内に、そういえば片平さんやチーム員が、給水ボトルの受け渡しの練習を一所懸命していたのに、まだ受け渡しをしていないのに気がつく。周回ももうラスト1周を残すだけだし、ここでみんなの苦労に答えるためにボトルの受け渡しに挑戦しようと決める。ボトルの受け渡しはしっかりと決めたいので、なるべくならば集団の中にいるよりは集団の前の方が安心できるので、ゴール1km程手前からスピードを上げて集団から離れ、ゴール前の坂も結構真剣に上って徐々に道路の右側に寄り、空のボトルを左手で取ると、ボトル回収役のチーム員の前に軽く投げ、今度は右手で慎重にエネルゲン入りのボトルをチーム員から受け取る。思ったよりもスムーズに受け渡しが終わり、これでチーム員も私も心晴れ晴れ、うまく補給できたぜ!と少し得意になって下りも気分良く降りて行った。

そういえば補給に夢中で、ラスト周回のジャンの音も聞いていなかったなと思って回りを見渡すと、優勝候補筆頭と位置付けて注目していたTIさんと二人でローテーションしているだけなのに気がつく。「あれ、どうしたの」と後ろを振り向くと「あれ〜、誰もいない」。いつの間にか集団から逃げている自分に気がつく。

普通逃げる場合は、逃げると言う気合いが必要なのに、こんな事もあるのだなと思い、気持ちを切り替える。作戦としては中間の登りを過ぎた下りで一気に逃げるつもりでいたが、このまま最後まで体が持てば2着はゲット出来るので、かなり早いけれどTIさんと高速で早いローテーションを心掛けてずんずんと進む。心拍計はすでに170HRを越え、AT値を越える状態で走っている。

平地区間を越えて、緩やかな登り区間は何とかこなすが、気が抜けるとTIさんのスピードについて行けなくなる。大滝ロードでの成績は伊達じゃない、この人本当に速いと、早くも心は折れ始める。ようやく中間地点の登りにさしかかるが、十分に前も取れず、ローテーションも出来る状態でないので、TIさんに「登り遅いので先行って下さい」と声を掛けてズルズルと後退してしまう。

坂の中間点で後ろを振り返ると、目の端にヘルメットキャップのピンクの塊が見える。このままだと頂上付近で後続集団に追いつかれそうだったので、必死にペダルを回して頂上を通過する。TIさんは下り坂の100mほど先を走っているので、今度はこちらの得意な場所とばかりにスピードを上げ、平地区間の中間付近でTIさんに追いつく事が出来た。

平地を過ぎたヘアピンカーブで後続を見ようとしたが、平地で差が開いたようで確認できず。ただし、この先のアップダウンで集団も本気モードに入るだろうし、TIさんの得意な登りが続くので、自分の得意な下りのスピードを充分生かして走らないと厳しい状況は変わらず。ヘアピンカーブの後に続く登りは体力のない状態では思ったよりも厳しく、先頭に立って走るTIさんの背中がどんどん小さくなって行く。私は必死に走っているものの離されすぎないようについて行くのもやっとの状態であった。しかし、登りがゆるくなって来るとTIさんの背中が若干大きくなり、だんだん距離が詰まってくるような気がした。

この長く辛い登りが終わりかけた所に直角T字路があり、そこで後ろを振り返ると後続集団が見えたが、思ったほど距離は詰まっていないので、なんとか逃げ切れそうに感じた。T字路から先についてはTIさんに追いつくことを目標に、下りも登りも休まずに目一杯飛ばす。そのうち、周囲の景色がモノクロに見え始め、視野が狭くなって来て、「こりゃ、そろそろ限界かな」と感じ始めた時、急にTIさんの背中が目の前に見えたので少し驚く。どうやら少し長めの下りの後の登りで、下りでスピードに乗れないTIさんは失速気味になり、私は下りのスピードを殺さずに登り切る事ができたので急接近したようだ。そのままの勢いを維持して、登りの途中でTIさんの前に出る。そこからは数回アップダウンを繰り返してゴールのはず。最後の登りでTIさんにやられてもしょうがないと全力でアタックする。後ろのTIさんを振り返って見る余裕なんて全然無かった。

残るいくつかのアップダウンを何とかスピードを維持してクリアし、いよいよゴールに向かう最後の長い下り坂に入る。ギアを重くするために変速するが、足の感覚もあまり無く、いったいどこに入っているのか全然わからない状態で、とにかくスピードアップのために全力で回す。スピードメーターを見ると60kmまで届かず、残っている体力もいよいよ底をついて来たようだ。

一番スピードが乗るはずの下りが終わり、ゴールに向かう最後の登りにかかる。ここからはTIさん得意の登りだ。TIさんの位置を確認したいが、振り返る時間とパワーロスが恐ろしいので、ひたすら前進するために心のパワーを振り絞る。

不思議なものでギアのダウンも意識しなくても丁度良いタイミングでチェンジすることが出来、ようやくゴールラインが見える位置までたどり着いて、最後の一絞りのパワーが必要になった時、今度は私の耳にチーム員と思われる何とか勝って欲しいと言う気持ちのこもった、悲鳴にも似た声が聞こえた。

そして応援の声に後押しされるように、一滴だけ残っていたパワーが涌いてきて、最後の十数メートルを走りきることが出来た。ゴールを切った後は勝った、負けたと言うよりも、全てを出し切って走りきったと言う気持ちだけが心の表面にあり、自分が勝利者になっている事すら忘れ、ここまで頑張らせてくれたTIさんに対する感謝が湧き上がってきた。勝利者の雄叫びもなく、握り拳を天に突き上げるでもなく、TEAMアティックの一員として、100%戦いきった純粋な喜びだけがゴール後の私の全てでした。

そして共に戦いに参加してくれたチーム員や友人に対する感謝も忘れてはならないだろう。ゴール前で崩れ落ちそうになった、あの瞬間に手をさしのべてくれたのは、チーム員と、ブルベ等で共に走った友人達の声であった。あの不思議な瞬間、どこからともなく涌いてきた力を与えてくれた皆さんに心から感謝してレポートを終えます。


柳月杯レースレポート
author:うちやま
7月15と16日、帯広市十勝川河川敷にて行われた柳月杯自転車ロードレース大会に参加しましたので以下レポートいたします。

15日は個人TT、16日はロードレース。両日共アティックからは、V2中西氏、S2内山の2名が参戦。コースも両日共十勝大橋下河川敷サイクリングコース?、および堤防道路の周回4.7kmを使用。
(どんな感じなのか想像しにくい方は豊平川サイクリングコースを思い出して頂きたい。橋の下サイクリングコースを反時計回りに出発。約1.5kmほど進み、堤防道路へ上がる。ヘアピンカーブで進行方向を逆にして2.7km位進み、途中各10mほどのゆるい下りおよび登りを通過後、再びサイクリングロードへ降りるためヘアピンで再度進行方向を逆にし500mほどスタート地点へ向け進むとゴールとなる。
レース中の注意点は、サイクリングコースから堤防道路へ進入するためのヘアピンと、逆に堤防道路からサイクリングコースへ進入するための下りヘアピンカーブで、2日目のロードレースでは後者のヘアピンカーブへの進入順序でゴールの着順がほぼ決まるという点です)


・15日個人TT
天候晴れ、気温暑い(28〜30度位)、風はスタートから堤防道路へ上がるまでの区間が向かい風、堤防道路上は追い風、再びサイクリングコースへ降りてゴールまでは向かい風(15日は風の強弱はありましたが風向きは終始同じ)。

私は当日9時到着。元チーム員のAさんIさんが既に到着しており、軽い挨拶後自転車の準備等に取り掛かる。受付、出走サインを早めに済ませ自分の出走時間を確認。出走時間まで余裕はあるが、試走のためのコース解放は10時頃までのため、中西氏と3〜5周サイクリングレベルの試走を行い、路面状況、障害物のチェックや、最短コースの確認を行う(二箇所のヘアピンは非常にキツイこと、また疲労の蓄積で足が重いことを感じた)。

その後アップまでは中西氏と談笑等で過ごす。(とかく緊張で固くなりやすいレース前の時間、緊張を維持しながらもリラックスできるのはチーム員の存在なんだと感じ
る)。

12時30分、アップ開始。中西氏はアップを終え、険しい表情でマッサージオイルを塗り召集を待っている。アップ開始後30分ほどで中西氏召集。中西氏に一言掛けアップに集中する。中西氏出走時間に出走見送り、激を飛ばす。再びアップを続けトータル40分ほどでアップを終える(アップ時アベレージ心拍128、最高154、思ったよ
り心拍をあげられず納得いかず)。

その後、先にゴールしたA選手に風の状況やペース配分についてたずねると、「スタート直後から500m程は時速40kmペースでいけるがその後の堤防道路へ上がるまでの区間は油断すると時速35km〜36kmに落ちるから注意してください」との情報を得る。このAさん、試走中最後のヘアピンにて落車、手首に固定用のテープを巻いてスタートしたということが判明。それでもタイムは7分前半で上がっており、「S2だったら6分台でしょ」と、ちくりとやられる。

13時30分、S2に召集かかる。スタートは2番なので、先発を目標に走ろうと決めるも、いまいち集中力に欠けている自分に気づく(アップ時に集中力を高める努力を怠っていた結果です)。

定刻スタート。ギアが重過ぎ、スピードを乗せられない。後輪が浮いてグリップしていないのがわかる。数秒後ようやく目標スピードに乗せられる。(余計な力を使ったこと、イメージ外事象に焦りが生じる)。その後はAさんの言うとおり見る見るスピードが落ち、時速35km〜36kmぺースに(挽回しようにも足が回らず、悪魔が「サイクリングにしちゃえば、」天使が「いや頑張れもう少しで追い風よ、ほら前の選手も見えるでしょ」の葛藤との戦い)。しばらくこのペースを維持、ようやく堤防道路へ。追い風を利用して大きなギアをガンガン踏むことだけを考え、調子よくシフトするがまたもや失敗、重すぎたギアを元に戻すというロス。その後はひたすら踏み続けることのみに集中(この辺から論理的な思考は既に出来なくなっています)。

軽い下り登りを経て、いよいよ最後のヘアピンに進入。止まるようなスピードでカーブをこなす。残りゴールまでは再び向かい風。最後の力を振り絞り時速40kmペースを死守してゴール。ゴール後すぐに思い浮かんだことは、スタート直後の重すぎたギアのこと。タイムは6分56秒。AvHR168、MaxHR180でした。

反省点:スタート前の集中力欠如、TT最中心拍を見れる余裕がなかった、ギア選択のミス。


・16日ロードレース
天候曇り霧雨スタート時は薄日射す、気温低い(18度〜20度)、風15日とは逆になりスタートから堤防道路に上るまでは追い風、堤防上は向かい風。出走は12時。
中西氏と8時過ぎ会場到着。15日とはうって変わっての寒さに驚く。霧雨が降っているものの、中西氏とコース確認のため試走に出る。細かい雨が降っており天候の回復を心配する。コースは15日と同じのため、レースの展開を考えながら軽めの3周回を行う。

その後は昨日と同じように中西氏と談笑したり、軽いストレッチや車内整理等で過ごす。10時50分、アップ開始。昨日の反省を生かしレースに集中する(アップは40分ほどAVHR123で、MaxHRは153と今日も高い心拍まで上げられず)。中西氏のスタート声援に行く。中西氏TT時の失敗があったので「冷静に!風を考えて!」と声を掛ける。その後はストレッチ、マッサージでスタートまでの時間を過ごす。

11時50分召集。いつもならスタートでいい位置を取るため前方に並ぶが、後ろに並ぶ消極的な自分がいました。(クリテ?のようなレースは過去にスタート時の失敗があったためあまり好きではないのである)。だがなぜかコース整列時は最前列でのスタートとなる。隣りは顔見知りのW選手。挨拶を交わしスタートを待つ。

12時00分スタート。スタートダッシュがあるのかと警戒しながら走り始めると、追い風に乗った一定ペース(40km/h)のスタートで、車列もスムーズに出来上がり淡淡と最初の登りヘアピンまで進む。ヘアピン通過後の立ち上がりは一気に加速がかかるため、あっという間に取り残されそうになるが負けずに一気に加速。その瞬間後方でタイヤの破裂音とともに自転車の転がる音が聞こえる。振り返る余裕はないが数名の選手が落車に巻き込まれた模様。自身は先頭5〜6番手をキープする。早い段階での落車の影響か一瞬集団のスピードは若干落ちたように感じられたが、その後は車列を組んでの速くもなく遅くもないペースで周回を重ねる。

集団では常に私を含めて4〜5名の選手が先頭交代を繰り返す中、レース経験の浅い選手が、故意にではなくとも交代を潰してしまう展開で進んでいった。周回中の私は、なぜか最初の登りヘアピンコーナーを先頭で抜ける周回が多く、縦一列にに伸びたこのコーナーで集団の人数などを計数していた。

このようにして周回を重ねる中、確か7周回目に入るとすぐ、追い風を利用して1名の逃げが発生。集団は殊更追うような展開を見せず自滅を待ち約3分後にこの選手を吸収する。同周回中、堤防道路上にて再び1名の逃げが発生したが、向かい風と残り周回の少ない中での逃げのせいか集団は少し警戒。追う気配を見せるも、この選手下りヘアピンで自爆。こうして向かえた最終周回『ジャン』の音とともに先頭の位置取り争いで集団は一気に不安定になる。こんな中私もはじめて集団の中央後方に追いやられる。(落車が怖い、焦りも生じるが冷静になるよう自分に言い聞かす)。

程なく危険を察知してか、周回遅れで集団に吸収された選手が「集団を引っ張ります!」と先頭を引き始める。見事に整然とした車列に戻るとともに、私も最初の登りヘアピンコーナーで集団を小さくしたいため、先頭に出て再び車列を引き始める。先頭キープのままコーナーの立ち上がりで仕掛けるも全く効果なく、逆に先頭を取られる。その後堤防道路上で先頭を巡る小競り合いが続く中、私は再び仕掛ける。(集団が小さくなればと思っての仕掛けでしたが力足らずで効果なく)。

軽い下りに入る手前で、H大選手2名に抜かれる。(1名は周回中先頭引きをしていたのでわかっていたのですが、もう1名いることは全く知らずH大の作戦だったのだと思うとともに集団の観察を怠っていたと反省)。軽い下りで追う。登りでこの2名の選手交わすが、他選手がこの登りで前に出てくる。ゴール順をほぼ決めるという最終ヘアピン進入までの堤防道路上で何とか先頭を奪回しようと試みるも、2〜3番手にて最終コーナーに進入する。コーナー立ち上がりで30mほど前1名が、15m前に1名がおり、この選手をゴールまで利用しようと何とか追いつくと同時に、私の左を知り合いのO選手が抜けていく。利用しようとした選手も失速気味だったので、ここはO選手との完全な一騎打ち2着争いと決め勝負する。何か悲鳴に似た気合の叫びをあげながらO選手をわずかな差で追い抜きゴール。ゴール後はすぐにエネルギー補給と、知り合い選手にご挨拶。そしてダウンに取り掛かる。そこへ、知り合いのA選手が「内山さん1着ですよおめでとうございます」。何かの間違いと思い1着でゴールした選手に話を聞きに行くと、その選手いわく「このレースがクリテリウムだと思っていましたので、周回遅れの私も救済措置として集団に復帰し正当に1着でゴールしたものと思っていたのですが、主催者によるとこのレースは『クリテリウムではなく、ロードレースですので救済措置云々はない』とのこと」。

着順についてはなんだか素直に喜べないレースとなりました。

評価できること:今回も積極的に先頭に出て集団を引けたこと、ひいては落車に巻き込まれずすんだこと。力配分を考えゴールスプリントまで力を残せたこと。一生懸命努力し、あきらめなければ勝利はどんな形であれ転がり込んでくること。

反省点:集団をよく観察することも必要。競技ルールを知ろう(クリテの救済措置は初めて知りました)。

AvHR139、MaxHR189でした。


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